| ・Did you say to him, "If you should fail again, what would ou do?"
これを間接話法にするんですが、まず疑問なのは、これって最後のところに「-would you do?"?」という形(伝達部のDid you-に対する”?”)はいらないんでしょうか? それと、これを間接話法にしたら、 Did you tell him what he would do if he should fail again? でいいんでしょうか?? |
| つぎ文の意味の違いを教えてください。
どれも同じようでいて違うようなきもします。 (1)You don't need to know that. (2)You need not to know that. (3)You needn't know that. |
| ちひろさん、
そのような場合は、(1) と (2) と (3) は、意味は同じと考えて良いと思います。 現在の英語では、(1) のような表現が最も一般的です。 (3) のような表現は、現在では少ないと思います。特に、アメリカ英語では (3) はまれな表現と思います。 そして、"need" を助動詞として使う否定文は、現在直ちに必要であるというような表現にだけ使うことが可能で、習慣的に必要ではないなどの表現には使うことができないと言われています。 上記のような内容は、"Practical English Usage", by Michael Swan (ISBN: 0-19-442098-1) という参考書の 366 に載っています。また、"A Comprehensive Grammar of the English Language" ("CGEL"), by Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik (ISBN: 0-582-51734-6) という参考書の 3.42 にも多少載っています。 (2) のような表現は、不適切な表現とまでは言えないかもしれませんが、非標準的と思います。 そのような表現は、イギリスのコーパス "The British National Corpus" ("BNC") で捜すと4件だけ見つかりました: [1] They need not to feel old, but to feel themselves. - 出典は "BNC", I don't feel old. Abendstern, Michele; Thompson, Paul; Itzin, Cathy. Oxford: Oxford University Press, 1990 [2] But as with every planning inquiry, hearing or whatever, we need not to avoid closing the discussion before we have all the information we need to reach a decision whichever way we decide to reach it. - 出典は "BNC", EIP meeting at Strensall Village Hall, day 4 session: public county council meeting (Public/institutional). Recorded on 19 November 1993 with 10 participants [3] As has already been observed by the Dominican, Conrad Pepler: we need not to labour the fact that Hilton is writing the same things as St John of the Cross, … - 出典は "BNC", English medieval mystics: games of faith. Glasscoe, Marion. Harlow: Longman Group UK Ltd, 1993 [4] I forgot how many we got round here Mm. because we needn't to sit them down. - 出典は "BNC", 90 conversations recorded by `Raymond2' (PS1HH) between 15 and 17 April 1992 with 10 interlocutors, totalling 46323 words, 5461 utterances, and over 41 minutes 46 seconds of recordings. |
| MKさんへ
(2)You need not to know that. は 「君は、そのことを知るべきでないという必要を感じている。」換言すれば「君はそのことを知ってはいけないと思っている。」という意味にとると間違いでしょうか。 「不定詞」の否定をどのように解釈すればいいのかよくわかりません。 その点を教えてもらえればと思います。 よろしく。 |
| ちひろさん、
> (2)You need not to know that. は、非標準的な表現で、あまり使うべきではないと思います。 意味は、 You need not know that. と同じになると思います。 100年近く前に出版された参考書 "How to Speak and Write Correctly", by Joseph Devlin の "CHAPTER VII ERRORS" に、 20. They need not (to) call upon him. で、( )内は不適当で省略されるべきというように載っていました。 その本はインタネットで検索して、全文が見つかります。 レス [4699] で挙げました "BNC" の結果を見ても、今日でも "need not to ..." のような表現がほとんど使われていないと考えられると思います。 「君はそのことを知ってはいけない」のようなことを英語で言うと、 You must not know that. が標準的と思います。 |
| (1)If I could borrow a thousand yen from you, it would save me a trip to the bank.
(2)If I borrowed a thousand yen from you, it would save me a trip to the bank. (1)と(2)はどちらも仮定法だとおもうのですが、どのような違いがあるのでしょうか。 教えてくださいませんか。 |
| めがね梟さん、
(1)と(2)の文は、ともに形式上は仮定法過去形となっていますが、素直に一般的に解釈すると、(1) は丁寧な依頼などを表し、(2) は現在において実現性がないと思えることを表していると思います。 (1) のように if 節で助動詞を使うことによって丁寧な依頼の表現ができます。その場合の助動詞 "could" は許可などを表し、「もし ... がお許しいただけるならば」などの意味になると思います。 |
| MKさま
さっそく回答していただき有難うございます。 すみませんが仮定法のことでもう1つ教えていだだきたいことがあります。 あるサイトで次のようなことが書いてありました。 (引用)「彼が彼女と結婚したなら、彼はもっと幸福であろうに」はIf he married her, he would be happierとはいわない。この仮定法がどこが間違っているかは動詞のアスペクトと深く関わってくることなのである。 この人の言っていることは正しいのでしょうか。 どうかよろしくお願い致します。 |
| めがね梟さん、
> あるサイトで次のようなことが書いてありました。 > > (引用)「彼が彼女と結婚したなら、彼はもっと幸福であろうに」は > If he married her, he would be happierとはいわない。この仮定法がどこが間違っ > ているかは動詞のアスペクトと深く関わってくることなのである。 > > この人の言っていることは正しいのでしょうか。 それについては、何についての、何を根拠にした説明なのか、私には良くわかりません。 少なくても、そのような他動詞 "marry ..." を「... と結婚する」などの意味で使用する場合は、ある意味で瞬時的に行われる動作を表し、達成などを表すと思います (厳密には、結婚の誓いを述べ終わった瞬間、結婚のための書類を提出して受理された瞬間、などのどの時点を他動詞 "marry" が実行されたと定義することになると思いますが、そこまで考えなくても通常のコミュニケーションには支障はないと思います)。 そのため、仮定法過去形を使った if 節で、およそ実現の見込みがない未来のことを表現するために、他動詞 "marry" を上記のような意味で使うことは可能と思います。 現に、"If he married her" という表現を、出版された本の中から "Google" の "Book Search" で捜すと、ネイティブの作家が書いたと思える本の中にもいくつも見つかることがわかりました。例えば: [1] If he married her, he would be ruined socially and financially in such a fashion that he could never lift up his head again. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "Joan Haste", by Henry Rider Haggard, Published 2001, Adamant Media Corporation [2] If he married her he would have to live with her in his own, little house, not the grand one he had just left. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "Murder on Old Mission", by Stephen C. Lewis, Published 2005, Arbutus Press [3] If he married her he would be ashamed of her all his life long. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "One Night's Mystery: A Novel ", by May Agnes Fleming, Published 1876, S. Low 多分、他動詞 "marry ..." を「... と結婚する」などの意味で使うと、文語的で多少堅苦しい文になる可能性はあると思います。例えば、アメリカのマサチューセッツ州の法律文に、他動詞 "marry" がそのように使われている例がありました: [4] Section 1. No man shall marry his mother, grandmother, daughter, granddaughter, sister, stepmother, grandfather’s wife, grandson’s wife, wife’s mother, wife’s grandmother, wife’s daughter, wife’s granddaughter, brother’s daughter, sister’s daughter, father’s sister or mother’s sister. - 出典は "Massachusetts General Laws - Marriage - Chapter 207, Section 1" 一方、アメリカで制作されたアニメーション映画のある台詞でも、to-不定詞の例ですが、他動詞 "marry" がそのように使われている例がありました: [5] Belle: Is he gone? Can you imagine? He asked me to marry him. Me, the wife of that boorish, brainless . . . - 出典は "Beauty and the Beast", Walt Disney Pictures, released 1991 何れにしても、他動詞 "marry ..." を「... と結婚する」などの意味で使うことはできますし、上記の例文 [1]、[2]、[3] のように、仮定法過去形を使った if 節の中で使われている例は、出版された本の中にも、いくつも見つかります。 |
| MKさま
詳しく説明していただき有難うございます。 >少なくても、そのような他動詞 "marry ..." を「... と結婚する」などの意味で使用する場合は、ある意味で瞬時的に行われる動作を表し、達成などを表すと思います (厳密には、結婚の誓いを述べ終わった瞬間、結婚のための書類を提出して受理された瞬間、などのどの時点を他動詞 "marry" が実行されたと定義することになると思いますが、そこまで考えなくても通常のコミュニケーションには支障はないと思います)。 ということは、文法はさておき語用論的には問題ないということでしょうか。 あるサイトというのは「ttp://homepage1.nifty.com/kmiya/aspect.html」のことです。この人の説明に今までは納得し理解していたつもりでした。しかし"Google" で捜すと「If he married her」に類するものがたくさんあるという現実に戸惑い混乱を覚えております。 そこでお聞きしたいのですが、率直に言ってこの「動詞のアスペクト」の筆者の説は正しいのでしょうか。それとも仮定法に「動詞のアスペクト」を持ち出してくること自体が間違っているのでしょうか。 お手数でしょうが、よろしくご教示願います。 |
| めがね梟さん、
> If he married her, he would be happier. というような文は、文法上も語法上も特に問題はないと思います。 レス [4676] で述べましたように、if 節では、仮定法過去形で、およそ実現の見込みがない未来のことを、達成などの意味を持つ動詞 "marry" で表現し、主節では、"would"+[動詞の原型不定詞] で、仮に if 節が満たされたという前提で、その場合にありそうな状態を表現することになると思います。そして、「もし、彼が彼女と結婚することになれば、彼はより幸福になるでしょう。」というような意味になると思います。 直接法を使用した文: If he marries her, he will be happier. で、"If he marries her" が、実現の見込みが十分にある未来のことを表現することに対して、上記の仮定法過去形で、"If he married her" がおよそ実現の見込みがない未来のことを表現できることになると思います。 そのように、if 節で仮定法過去形で、主節で "would"+[動詞の原型不定詞] で、現在または未来の非現実的なことやありそうもないことを表現することは、"Practical English Usage", by Michael Swan (ISBN: 0-19-442098-1) という参考書の 258.2 や、"A Comprehensive Grammar of the English Language" ("CGEL"), by Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik (ISBN: 0-582-51734-6) という参考書の 15.35 に載っています。 レス [4676] で挙げた出版された本での使用例も、if 節に関しては同様の意味で使用されていると思います。 少なくても、そのような仮定法の文で、「動詞のアスペクト」について説明しようとすることが、あまり意味のない混乱を招く原因と思えます。 「動詞のアスペクト」については、1つの動詞でも、文意/文脈などによっても、異なってくる場合もありますので、単純に説明できる問題ではないと思います。逆に、文意/文脈がわかれば、通常は特に動詞のアスペクトを意識することないと思います。また、基本的な動詞の語法などに馴れれば、動詞のアスペクトを意識することなく、動詞を自然に使えるようになると思います。 動詞のアスペクトに関することは、この掲示板の他の方の質問 [1046] に対するレス [1047] の後半でも、少し述べました。また、詳しいことは、"CGEL" の4.4 と 4.27 ~ 4.35 に載っています。 |
| MKさま
以下の文も仮定法だと思いますので教えてください。 (1) I wish Jane would come. (2) I wish Jane were here now. (3) I wish Jane came. (4) I wish Jane would be here now. (1)と(2)は正しいが、(3)と(4)は誤りだというひとがいますが、どう理解すれば宜しいのでしょうか。 またまた、お手数を掛けますがよろしくお願い致します。 |
| めがね梟さん、
動詞 wish が that-節を取る場合は、その that-節での時制は原則として、現在または未来の非現実的なことやありそうもないことなどを表現する場合は仮定法過去形で、過去の事実に反することなどを表現する場合は仮定法過去完了形となります。 > (3) I wish Jane came. については、話の流れなどにより、言わなくても通じると思える時間などを表す副詞 (句/節) が省略されている場合などが考えられ、現在の習慣などの表現では可能と思えます。すなわち、「私は Jane が (習慣的に) 来ることになっていればなあと思う。」などの意味では可能と思えます。 > (4) I wish Jane would be here now. については、動詞 "wish" が取る that-節で "would" が使われることは一般的であり、後悔やいらだたしさ/困惑などを表現することもあります。そのことについては、Practical English Usage", by Michael Swan (ISBN: 0-19-442098-1) の 630.5 に載っています。その場合は、法助動詞 "will" が現在の意思や必然性などを表す用法で、その仮定法過去形と考えられると思います。そのため、上記の例文は十分に可能と思えます。すなわち、「私は Jane が今ここにいる意思をもっていればなあと思う。」などの意味では可能と思えます。 |
| 「私たちは本を読んでいます。」という文を英語に直すと、
We are reading a book. と We are reading books. の両方の言い方ができますか? |
| トンボさん、
その日本語は、ある意味で大ざっぱな表現と思われますので、それに対応する英語としても、ある意味で大ざっぱな表現として、両方の言い方が可能となると思います。 そして、通常はそのような表現で十分と思います。 ところで、 > We are reading a book. では、全員が各々1冊の本を読んでいる場合、全員で同じ1冊の本をいっしょに読んでいる場合 (全員が各ページを読み終わってから次のページに行くなど)、1人が1冊の本を音読などして他の人が聞いている場合、また場合によっては、1人だけが代表して1冊の本を読んでいる場合などが考えられると思います。 > We are reading books. では、全員が各々1冊の本を読んでいる場合、全員が1冊または複数の本を読んでいる途中の場合、全員で複数の本を読んでいる途中の場合、1人が、または数人が交代で、複数の本を音読などして他の人が聞いている途中の場合、また場合によっては、1人が、または数人が、代表して複数の本を読んでいる途中の場合などが考えられると思います。 より具体的に正確な表現にするためには、"each" や "together" などの副詞を使ったり、"each of us" や "one of us" や "some of us" などの代名詞を使ったりすることになると思います。 |
| わかりやすい解説、ありがとうございます。主語がweなどのよう複数形になったとき、bookが単数形でも複数形でも、それぞれが一冊の本を読んでいるという意味になるのでしょうか?(それぞれが一冊の本を読んでいるとするときは、単数形にすると何かの本に書いてあった気がするのですが。)また、進行形の場合、同時に何冊かの本を読むのは不自然なので、bookを単数形にした方が良いのかと思ったのですが。度々すみませんが、教えてください。 |
| トンボさん、
以下のような文: > We are reading a book. > We are reading books. で見られるように、主語 (または不定詞句や分詞句などの意味上の主語/動作主) が "we" などのように複数形の場合で、目的語で (または前置詞などとともに) 加算名詞が使用される場合は、"a book" などのように冠詞+単数形でも、"books" などのように複数形でも、通常の場合で特に誤解が生じることが考えられなければ、各自が1冊の本を読んでいることなどを伝えることができます (ただ、状況などによっては、レス [4655] で述べたようにその他の解釈も可能となる場合もあると思います)。 そして、そのような場合は、"books" などのように複数形を用いるほうが自然で、標準的となっています。 しかし、特に、各個人に焦点を当てる場合や、文脈などによって誤解が生じる恐れがある場合などには、"a book" のように単数形を用いる場合もあります。 上記のように、加算名詞の複数形を用いる用法は、"distributive plural" (配分複数) と呼ばれ、単数形を用いる用法は、" distributive single" (配分単数) と呼ばれます。 上述したようなことについては、"A Comprehensive Grammar of the English Language" ("CGEL"), by Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik, May 1985 (ISBN: 0-582-51734-6) という参考書の 10.47、"Practical English Usage", by Michael Swan (ISBN: 0-19-442098-1) という参考書の 530 に載っています。 "Practical English Usage" に載っている例文を1つ借りると: Tell the kids to bring raincoats to school tomorrow. (上記の例文のほうが "Tell the kids to bring a raincoat ..." というよりも自然。) "CGEL" に載っている、特に誤解を避けるために単数形を用いた例文を1つ借りると: Children must be accompanied by a parent. 上記の例文では、"a parent" と単数形が用いられていますので、それぞれの子供はどちらか片方の親だけが同伴していればでよい解釈されると思います。もし、仮に "parents" と複数形にすると、「両親」を意味して、それぞれの子供が両親ともに同伴することが必要と解釈されると思います。 |
| 「本を読む」のときはread a book なのに、「新聞を読む」のときはread the newspaperとなりますよね。どうして定冠詞がつくのか教えてください。 |
| ダンボさん、
"the newspaper" などと定冠詞 "the" を付けていても、特に「その」や「例の」などの意味になるような特定の "newspaper" を表していない場合があり、そのような用法は、"sporadic reference" と呼ばれる定冠詞の特別な用法と考えられます。 "sporadic reference" などで、"the" が付くことがあるのは: エンタテイメントやマス・コミュニケーション関係: "the newspaper"、"the news"、"the paper"、"the radio"、"the theatre"、"the cinema"、など ("television"/"TV" は、 "the" が付く例と付かない例があり、どちらも可) 交通機関や通信や郵送など: "the bus"、"the train"、"the telephone"、"the post"、"the mail"、など 地理的存在や天候など: "the town"、"the country"、"the mountains"、"the sea"、"the seaside"、"the wind"、"the rain"、"the weather"、"the sunshine"、"the night"、など 上記のようなことは、"A Comprehensive Grammar of the English Language" ("CGEL"), by Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik, May 1985 (ISBN: 0-582-51734-6) という参考書の 5.33、"A Communicative Grammar of English", by by Geoffrey Leech, Jan Svartvik (ISBN: 0-582-50633-6) という参考書の 86、"Practical English Usage", by Michael Swan (ISBN: 0-19-442098-1) という参考書の 69 と 70 に載っています。 上記に挙げた例でも、ある慣用表現では無冠詞で使われる場合もありますし、また、多分 "the" を付けるか "a"/"an" を付けるかについても文脈や個人差などもありえると思います。 何れにしても、英語の冠詞については全てを説明できるような絶対的な規則などないと思います。 |
| 下記について宜しくお願い致します。
①I met a woman running in the rain.(雨の中を走っている女性に会った。) は第3文型と言われています。 しかし、知覚動詞を使った下記文(知覚構文)は第5文型といわれています。 ②I saw a woman running in the rain.(女性が雨の中を走っているのを見た。) そこで質問です。 1.なぜ知覚構文は第3文型であるという解釈が出来ないのでしょうか。 ①に準じて②を、「雨の中を走っている女性を見た。」としても日本語的には自然に感じるのですが。 2.①の変形として、①’ I met a running woman in the rain.がありますが、①と①’ではどのような意味の違いが あるのでしょうか。 3.Look at the woman running in the rain. は命令形ですが、look at も知覚動詞ですから、第5文型に分類される のでしょうか。 文法書では、「女性が雨の中を走っているのを見なさい。」ではなく、「雨の中を走っている女性を見なさい。」と第3文型的に 訳されているのですが。 |
| chaispeed さん、
> 1.なぜ知覚構文は第3文型であるという解釈が出来ないのでしょうか。 > ①に準じて②を、「雨の中を走っている女性を見た。」としても日本語的に > は自然に感じるのですが。 失礼ですが、その質問では答えは、ただ "I saw a woman running" のように S+V+O+C で、目的格補語の C に原形不定詞か分詞がくる文の型を「知覚構文」と呼ぶと定義したために、「知覚構文」の文型は S+V+O+C であることは定義によってそうなったのであり、そのような質問自体無意味となると思います。 ただ、質問 [4633] で挙げられた例文: > ②I saw a woman running in the rain. が単独の文で、背景などの言外情報がなければ、その構文も意味も多くの解釈がありえます。また、動詞 "see" にも多くの意味 (「見る」、「見える」;「会う」;「交際する」;「わかる」、「理解する」、など) があり、 "run" にも多くの意味 (「(足で) 走る」;「逃げる」、「逃走する」;「 (選挙に) 立候補する」、など) があります。最終的に、どの構文で、どのような意味になるかについては、その文が発言されたときの背景や常識などで判断することになると思います。 その例文のように分詞が使われるパターンでは、多くの構文の解釈が可能になることは、"A Comprehensive Grammar of the English Language" ("CGEL"), by Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik, May 1985 (ISBN: 0-582-51734-6) という参考書の 15.62 "Supplementive clauses in final position" と 17.33 "Blurred relationships in postmodification" と 17.54 "The grandience from deverbal nouns via verbel nouns to participles" に分散して関連すると思えることが載っています。 その例文の構文としては、以下のようなものが考えられると思います。 (1) 「知覚構文」で S+V+O+C で、"running in the rain" の動作主は "a woman"。 (2) "running in the rain" は、"a woman" を後ろから修飾する "reduced relative clause"。"running in the rain" の動作主は "a woman"。その場合の、"running" の時間については、現在、過去、未来、それぞれで単純形と進行形がありえます。そのことについては、"CGEL" の 17.28 "Postmodification by -ing participle clause" にも載っています。また、この掲示板での他の方からの質問 [1942] に対するレス [1958] でも説明しました。 (3) "running in the rain" が目的語の役割をしていて、"a woman" が動作主を表すと解釈することも可能で、より正確には "a woman's running in the rain" と書くという解釈も可能と思います。その場合の "running in the rain" の動作主も "a woman"。 (4) "running in the rain" は、その文の主語 "I" にかかる "supplementive clauses" になる。すなわち、"running in the rain" の動作主は "I"。 ところで、その例文で、"see" を「見る」、「見える」などの意味だけに限定して、"run" を「(足で)走る」などの意味だけに限定して、上記の (1) の場合と、(2) で "running in the rain" の動作が、仮に "I saw" の動作の前後で起きたと仮定した場合は、(1) と (2) とで文型は異なりますが、動作主が "a woman" であり、動作が起きた時間が同じために、意味は同じになることもありえると思います。もし、その違いを考え出そうとすると、(1) の場合は、"running in the rain" という行為も目に入っていたことになると思いますが、(2) の場合は "I saw a woman who was running in the rain." と同じ意味のために、主語 "I" の目に入っていたのは "a woman" だけで、そのときには "running in the rain" を認識していなかった場合もありえると思います (例えば、遠くから望遠鏡などで一部だけ見て "a woman" の顔などだけが目に入り、彼女が走っていたことは後で人から聞くなどして知った場合など。) 上記の場合、(1) と (2) が同じ意味になる場合に関係すると思えることは、-ed 分詞と動詞 "notice" の例ですが、"CGEL" の 17.33 "Blurred relationships in postmodification" に、次のような例文: I noticed a man hidden behind the bushes. I noticed a man who was hidden behind the bushes. I noticed that a man was hidden behind the bushes. が載っていて、ネイティブはその3つの例文の違いを、ほとんど、あるいはまったく意識しないというような説明があります。 また、上記の (3) の解釈も、文型が (2) と同じで、修飾語/被修飾語の関係が入れ替わっただけで、同様のことがいえると思います。 上記の (3) の解釈に関連すると思えることは、"CGEL" の 17.54 "The grandience from deverbal nouns via verbel nouns to participles" に、次のような例文: I watched Brown painting his daughter. [a] 'I watched Brown as he painted'; or [b] 'I watched the process of Brown('s) painting his daughter.' が載っていて、そのような解釈が可能と載っています。 上記の (4) の解釈については、"CGEL" の 15.62 "Supplementive clauses in final position" に、次のような例文: I saw Pam going home. が載っていて、その文の "going home" の動作主が、主語の "I" であるという解釈と、"Pam" であるという解釈 ("overt subject") がありえるという説明があります。 また、質問 [4633] で挙げられたもう一つの例文: > ①I met a woman running in the rain. では、動詞 "meet" の持つ "verb complementation" の性質と意味などにより、上記の (2) と (4) の解釈が可能と思います。 > 2.①の変形として、①’ I met a running woman in the rain.がありま > すが、①と①’ではどのような意味の違いが > あるのでしょうか。 それについても、①と①’のどちらともに、多くの解釈が可能となると思いますので、それらの意味の違いについては、一概には言えないと思います。 ところで、分詞が前から名詞を修飾する場合は、(特に恒久的/普遍的な) 性質を表す傾向があります (それは傾向だけで必ずそうなるとは限らないと思います)。 それについて関係あることが、"CGEL" の 17.98 "Premodification by -ing participle" と 17.99 に、-ing 分詞 (現在分詞) の場合について、載っています。 "CGEL" から、適切である例と、ネイティブが許容できるかどうか不明と感じる例を一部借りてくると次のような例があります (下記で先頭に "?" が付いている例が、ネイティブが許容できるかどうか不明と感じる例です): He was a very reassuring person. ? He was a reassuring person. He greeted me with a very reassuring expression. 上記は、-ing 分詞単独で人を修飾すると許容できるかどうか不明と感じるネイティブがいるが、-ing 分詞をさらに副詞 "very" で修飾すると適切となる例です。 ? The approaching train is from Liverpool. He was frightened by an approaching train. ? The barking dog is my neighbour's I was wakened by a barking dog. 上記は、特に、-ing 分詞単独で名詞を修飾して、定冠詞 "the" が付くと許容できるかどうか不明と感じるネイティブがいる例 (特にイギリス英語で) です。一方、不定冠詞 "a"/"an" の場合は適切である例です。 それについて、不定冠詞は習慣性/恒久性を好み、定冠詞は特定性/一時性を好むと説明されています。分詞が前から名詞を修飾すると、恒久的/普遍的な性質を示す傾向があるのに、特定性/一時性を好む定冠詞が付くことは奇妙な組み合わせになるものと思います。 また、多分、"approaching train" や "barking dog" が抽象化され、そのような行為をするものとして捕らえられ、それに不定冠詞が付くことで不特定化された1つということで許容される場合がありえると思います。 何れにしても、"CGEL" では、一時的な意味を持つ -ing 分詞が単独で前から名詞を修飾する例がありえ、例によっては、適切であるものもあり、許容できるかどうか不明のものもあるとしています。 一方、ネイティブ用の英作文の参考書である "Rhetorical Grammar; Grammatical Choices, Rhetorical Effects (5th Edition)", by Martha Kolln, 2007 (ISBN: 0-321-39723-1) という本の Chapter 9 の中の "The Prenoun Participle" の説明には When the participle is a single word -- the verb with no complementation or modifiers -- it usually occupies the adjective slot in preheadword position: と説明しています。そこでは、"usually" という副詞を使って説明していますので、そのような修飾ができない場合もありえることを示唆していると思います。 そして、-ing 分詞の例では、次のような例文を載せています。 Our snoring visitor kept the household awake. The barking dog next door drives us crazy. 上記の例で、"snoring visitor" が許容されるのは、多分、"our" で修飾されて、発言者のところにきた訪問者という十分な限定がされているためと思えます。 上記の例で "the barking dog" が許容されるのは、多分、後ろから "next door" で修飾されて、隣の犬であるという十分な限定がされているためと思えます。 (そのようなネイティブ向けの英作文ようの文法書で、わざわざ、分詞が名詞を前から修飾することを載せるということは、そのようなことを十分に理解していないネイティブがいる可能性があるとも思えます。) 上記のようなことを鑑みると、 (a) -ing 分詞が恒久的/普遍的な性質を示す場合、または抽象的/が概念的な表現をする場合 (b) 一時的なことを示す場合で、-ing 分詞にさらに修飾語が付く場合 (c) 一時的なこと、または習慣的なことを示す場合で、他の修飾語などによって対象が1つに絞られる場合 については、-ing 分詞が単独で前から名詞を修飾することが許容される傾向が高いと思えます。 ただ、上記の参考書では、そのようなところまで説明していないところを見ると、必ずしも当てはまるわけではないと思います。 また、"CGEL" では上に挙げたように "?" の印をつけて、ネイティブが許容できるかどうか不明と感じるとしているだけで、不適切とは言っていません。 そのため、-ing 分詞が単独で前から名詞を修飾することについては、かなりファジー的な要素があり、適切と感じるかどうかに個人差もあると思います。 ここで、 > ①I met a woman running in the rain. の上記の (2) と (4) の構文の解釈が可能となります。 一方で、 > ①’ I met a running woman in the rain. は、-ing 分詞 "running" が単独で "woman" を修飾していますので、上述しましたように "running woman" という抽象的なイメージが先に上がってくると思います。動詞 "run" の意味によって、「走っている女性の姿」、「逃亡中の女性」、「(選挙に) 立候補中の女性」などが挙がると思います (「逃亡中の」と「(選挙に) 立候補中の」のはある相当の期間持続するため、置かれた立場/境地/状態など (性質などの一種) で、ある意味では恒久的/普遍的の一種と考えることができると思います。「走っている」は動作で一時的と考えることが一般的と思います。ただ、習慣的/定期的に走る女性を、英語で "running woman" というような表現をするかどうかは疑問で、それは理屈で説明できるようなことではなく、多分、コロケーションなどの語句の組み合わせの習慣的なことによると思います。) また、"running woman" を "in the rain" で限定しても、一般的には1人に絞ることはできないと思います。①’の例文でも、現に不定冠詞の "a" が付いています。 そのため、①’ では、例えば、「雨の中で私はある逃亡中の女性と会った。」や「雨の中で私はある立候補中の女性と会った。」などが自然な解釈と思います。ただ、そのような解釈も、前後関係や背景などがあって、初めて成立することになると思います。 また、あまり現実的でない例として、例えば、「雨の中で私はある (永遠に) 走る姿をした幻想の女性と会った。」などの解釈も可能と思います。 「雨の中で私はある走っている (現実に存在する) 女性と会った。」という意味で "I met a running woman in the rain." という表現は、「雨の降っていないところを走っている女性と、私は雨の中で会った」(その女性と私は雨の降っている場所と雨の降っていない場所の境界をはさんで会った場合や、その女性は屋根が付いた回廊などの下を走っていて、私は雨が降っている中にいて、会った場合や、その女性はある建物の中で走っていて、私は雨が降っている外で、大きなガラス越しにその女性に会った場合などが考えられると思います) ような状況では、場合によっては正当化できるかも知れませんが、そのような場合には、多分、曖昧さをより少なくするために、他の表現をすることになると思います。例えば I was in the rain and met a woman running not in the rain. などが考えられると思います。 何れにしても、その女性も雨の中を走っていた場合に、"running" が名詞 "woman" を前から修飾して、"in the rain" が同じ名詞を後ろから修飾する正当性がないと思います。 また、-ed 分詞 (過去分詞) が前から名詞を修飾する場合についても、上述しました -ing 分詞の場合とほぼ同様のことがいえることは、"CGEL" の 17.100 と 17.101 に載っています。また、この掲示板での他の方からの質問 [4573] に対するレス [4590] でも説明しました。 > 3.Look at the woman running in the rain. は命令形ですが、look at > も知覚動詞ですから、第5文型に分類される > のでしょうか。 > 文法書では、「女性が雨の中を走っているのを見なさい。」ではなく、 > 「雨の中を走っている女性を見なさい。」と第3文型的に > 訳されているのですが。 この質問については、上述しました②の文と同様に、構文上多くの解釈が可能になると思います。 「女性が雨の中を走っているのを見なさい。」と訳す場合は、上記の (1) の解釈か、あるいは (3) の解釈になると思います。一方、「雨の中を走っている女性を見なさい。」と訳す場合は、上記の (2) の解釈になると思います。その2つの日本語の発言を聞いた人は、大抵の場合は同じことをすると思います。それと同様に、その英語の文をどちらで解釈しても、その発言を聞いた人は、大抵の場合は同じことをすると思いますし、上で挙げました "CGEL" の 17.33 の説明を鑑みると、多分、ほとんどのネイティブはその構文を意識しないと思います。 |
| >①I met a woman running in the rain.(雨の中を走っている女性に会った。)
>②I saw a woman running in the rain.(女性が雨の中を走っているのを見た。) 「知覚動詞」は「action」を問題にするから「running」は文型の要素になるというだけのことです。 |
| 鷹子さん、
少なくても、句動詞 "look at" は、S+V+O+C のパターンで、補語 C に原形不定詞および -ing 分詞がくる文型を取ることはできます。 "look at" がそのような文型を取る例文を、イギリスのコーパス "The British National Corpus" ("BNC") で捜すと、幾つか見つかりました。目的語 O の位置にくる語句が本当に目的語であると断言できるように、人称代名詞 ("him" や "them" ) が使われている例文を以下に挙げます: [1] 'Look at him run! Just look at him scuttle!' - 出典は "BNC", A little lower than the angels. McCaughrean, Geraldine. Oxford: OUP, 1987 [2] As he looked at them walk away, something hard in him revolted and he cried inside himself. - 出典は "BNC", The charnel house. McGrath, Eamonn. Belfast: The Blackstaff Press Ltd, 1990 [3] He stood and looked at them sway, feeling a unity with them as his body swayed to the same light breeze. - 出典は "BNC", The charnel house. McGrath, Eamonn. Belfast: The Blackstaff Press Ltd, 1990 [4] As I looked at him sitting opposite me on the floor of the trench, I was fascinated by his resemblance to the other Commandos I had met over the past five days. - 出典は "BNC", Invasion. Millin, Bill. Lewes, East Sussex: The Book Guild Ltd, 1991 [5] She looked at him lying on his bed, pretending to read. - 出典は "BNC", The Children of Dynmouth. Trevor, William. London: Penguin Books, 1987 [6] As she looked at them squashing themselves into chairs bought for Weenie and Co., she thought of a story from her French course. - 出典は "BNC", Coffin underground. Butler, Gwendoline. London: Fontana Press, 1991 上記の例文 [1]、[2]、[3] では、補語 C に原形不定詞が使われていれ、例文 [4]、[5]、[6] では、-ing 分詞が使われています。 「知覚動詞」という文法用語について、誰もが認める明確な定義があるかどうか私は知りません。仮に、「見える」、「聞こえる」など、特に意識するか意識しないかに関わらず五感から情報が入ることを意味する他動詞だけを、知覚動詞と定義すると、"see"、"hear" などは知覚動詞になりますが、"look at" や "watch" などは知覚動詞にならないと思います。 しかし、仮に、上記のような動詞と、意識して五感から情報を取るようにする動詞も含めて、S+V+O+C のパターンで、補語 C に原形不定詞および -ing 分詞がくる文型を取ることができる動詞を、知覚動詞と定義すると、"look at" や "watch" も知覚動詞になると思います。 |
| わたしはchaispeedさんの「知覚動詞」の定義を知りたいと思って投稿したまでです。
あそこまで執着するのはちょっと異常と思いましたので。 それなら今日本で定着しているらしき「5文型」なるものをどうしてすんなり受け入れられるのでしょうか。 不思議な御仁です。 |
| MKさん
ご返事が遅くなりましたが、全体像を説明して頂きありがとうございました。 >> ②I saw a woman running in the rain. >その例文の構文としては、以下のようなものが考えられると思います。 +やはり(2)の意味があったのですね。日本の文法書は(1)知覚構文しか述べらていません。 (2)があることがわかれば(4)も質問しようと思っていましたが、先に説明頂きありがとうございました。 ただ(3)の意味があるとは想像もしていませんでした。 >もし、その違いを考え出そうとすると、(1) の場合は、"running in the rain" という行為も目に入っていたことになると 思いますが、(2) の場合は "I saw a woman who was running in the rain." と同じ意味のために、 主語 "I" の目に入っていたのは "a woman" だけで、そのときには "running in the rain" を認識していなかった場合 もありえると思います +この説明で(1)と(2)の違いがよくわかりました。 >(1) と (2) が同じ意味になる場合に関係すると思えることは、-ed 分詞と動詞 "notice" の例ですが、... が載っていて、ネイティブはその3つの例文の違いを、ほとんど、あるいはまったく意識しないというような説明があります。 +ネイティブがどのように意識しているかも知りたいことでしたので、この説明は有難かったです。 ここからは少し、追加質問がありますので宜しくお願い致します。 1.下記の意味を教えて頂けませんか。特にgrandience が辞書で見つけることができませんでした。 "The grandience from deverbal nouns via verbel verbal nouns to participles" 「動名詞などの動詞由来名詞から分詞までのgrandience」 としか訳せませんでした。 2.>不定冠詞は習慣性/恒久性を好み、定冠詞は特定性/一時性を好むと説明されています。 +私は冠詞を相当勉強したつもりですが、このなかで知っていたことは、定冠詞の特定性だけです。 本題とは直接関係しないかも知れませんが、残り(不定冠詞の習慣性/恒久性と定冠詞の一時性)について、 解説して頂けませんか。 3.>習慣的/定期的に走る女性を、英語で "running woman" というような表現をするかどうかは疑問で +習慣的/定期的に走る女性なら以下の表現で正しいですよね。 I met a woman who runs in the rain. 4.>"running woman" を "in the rain" で限定しても、一般的には1人に絞ることはできないと思います。 ①’の例文でも、現に不定冠詞の "a" が付いています。 +ここだけ仰っていることがよくわかりませんでした。たとえば "a" を "the" に代えればよいというような単純な話では ないですよね。もう少し説明していただけませんか。 |
| > 1.下記の意味を教えて頂けませんか。特にgrandience が辞書で見つける
> ことができませんでした。 > "The grandience from deverbal nouns via verbel verbal nouns to > participles" > 「動名詞などの動詞由来名詞から分詞までのgrandience」 としか訳せませ > んでした。 それは私のタイプミスで " gradience" でした。失礼しました。日本語では「傾斜」などというようです。 その部分は、"CGEL" のなかのある節の題名で、日本語に訳すと「動詞由来名詞から動詞状名詞 (動名詞) を経て分詞への傾斜」などとなると思います。 "gradience" (「傾斜」) という概念については、"CGEL" の 2.60 "Gradience" に説明がありますが、類似性と対比性について2つのカテゴリの中間にあるどちらかのカテゴリに属すると明確に言えない部分などと言う説明があります。 "The gradience from deverbal nouns via verbel verbal nouns to participles" の具体的なことは、"CGEL" の 17.54 に載っています。レス [4636] で挙げた例文を含めて14個の例文が載っていて、説明があります。1節の例文を写すのも大変ですし、著作権の問題もありそうですので、興味があれば、"CGEL" の 17.54 を見て下さい。 > 2.>不定冠詞は習慣性/恒久性を好み、定冠詞は特定性/一時性を好むと > 説明されています。 > +私は冠詞を相当勉強したつもりですが、このなかで知っていたことは、定 > 冠詞の特定性だけです。 > 本題とは直接関係しないかも知れませんが、残り(不定冠詞の習慣性/恒 > 久性と定冠詞の一時性)について、 > 解説して頂けませんか。 それは、"CGEL" の17.99 での説明として、次のように載っています: The indefinite article favours the habitual or permanent, the definite article the specific or temporary. その説明文について、レス [4636] で、私は 動詞 "favour" を「・・・を好む」と訳してしまいましたが、「・・・と相性が良い」などと訳したほうが適切であったかもしれません。 何れにしても、不定冠詞、定冠詞についてある文脈で見られる1つの性質を述べているだけと思います。 レス [4636] にも挙げましたが、上記の説明の例文として、以下が "CGEL" に載っています: ? The approaching train is from Liverpool. He was frightened by an approaching train. 最初の例文は、許容できるかどうか不明と感じる例として上がっていますので、そこから "approaching" を取り: The train is from Liverpool. とすると、問題はないと思います。そして、その文では、素直に解釈すると、その発言時に話題としている "train" ということで、「特定性」があり、その"Liverpool" 発の "train" が、例えば終点駅について折り返すなどすれば、"from Liverpool" ではなくなりますので、その文での "the train" は、話題にしている "train" が "Liverpool" 発であったある時のことだけを指しているということで、「一時的」であるといえると思います。 それについては、仮に、不定冠詞の "a" を "train" に付け: A train is from Liverpool. とすると、素直に解釈しようとすると、意味が不明であると思います。 一方、 He was frightened by an approaching train. については、"an approaching train" は「近づいてくる」という性質を持った "train" のある1つを指しています。ここで勘違いしてはならないことは、「近づいてくる」という動作自体が一時的であるなどということをいっているわけではなく、「近づいてくる列車」という、駅であれば、どこにでも見られる一般的/普遍的な列車の動作で、ある意味では、列車として「習慣的」に行っている動作を表しているといえると思います。それに不定冠詞 "an" を付けて、そのような列車の1つを表しているといえると思います。 > 3.>習慣的/定期的に走る女性を、英語で "running woman" というよう > な表現をするかどうかは疑問で > +習慣的/定期的に走る女性なら以下の表現で正しいですよね。 > I met a woman who runs in the rain. その文で正しいと思います。そして、その文も、"reduced relative clause" で表現すると: I met a woman running in the rain. ということもできます。それについては、この掲示板での他の方からの質問 [1942] に対するレス [1958] でも説明したとおりです。 > 4.>"running woman" を "in the rain" で限定しても、一般的には1人 > に絞ることはできないと思います。 > ①’の例文でも、現に不定冠詞の "a" が付いています。 > +ここだけ仰っていることがよくわかりませんでした。たとえば "a" を > "the" に代えればよいというような単純な話では > ないですよね。もう少し説明していただけませんか。 失礼ですが、質問の意図がよくわかりません。"the" に代えればよいなどとは決して言っていません。 ただ、私が言いたかったことは、"running woman in the rain" という存在が、一般的には唯一の存在にはならないため (ただ、例えば、走っている1人の女性と座っている1人の女性だけが、ある場面での登場人物で、その2人に限った話題の場合などでは、唯一の存在になることもありえますが)、定冠詞 "the" が付くのではなく、不定冠詞 "a" が付くことになるということでした。そして、上記で説明したように、不定冠詞が習慣性/恒久性と相性が良いことを鑑みると、"running" が前から "woman" を修飾して、不定冠詞 "a" が付くこと自体は、特に問題はないはずであるということでした。それにより、例えば、「雨の中で私はある逃亡中の女性と会った。」や「雨の中で私はある立候補中の女性と会った。」などが自然な解釈のはずであるということでした。 |
| 複数形でs,esが付くと、発音は、
①語尾が[f],[k],[p]などの時は[s ス] ②語尾が[s],[z]などの時は[iz イズ] ③それ以外は[z ズ] になりますが、何故このような発音の違いが出てくるのでしょうか? こうした方が発音しやすいから、という理由は分かっているんですが、日本人とアメリカ人の舌の動かし方の違いなどの点から考えてみると、理由が分かりません。 どうか教えて下さい。 |
| gimon さん、
日本語と英語では母音でも子音でも舌などの動かし方などで、多かれ少なかれ違いはあると思います。しかし、複数形で "-s"/"-es" が付いたときの発音には、それは直接的にはあまり関係はないと思います。 「ス」と発音される場合は、語尾が無声音の子音で終わる場合で、それは無声音につられて同じ無声音の「ス」になっただけであると思います。 「ズ」と発音される場合は、語尾が有声音の子音か、母音で終わる場合で、それは有声音か母音につられて有声音の「ズ」になっただけであると思います。 "-es" が付いて、「イズ」と発音される場合は、語尾が "s"、"z"、"x"、"sh"、"ch" で終わる場合で、複数形に付ける最後の音を明確にするためと発音しやすくするために直前の子音との間に母音を入れただけであると思います。 上記の規則名詞の複数形に付ける "-s"/"-es" の発音方法は、規則動詞の三人称単数現在形直接法で "-s"/"-es" の発音方法と同様と思います。 また、上記のような単語の語尾に付ける "-s"/"-es" の発音方法は、規則動詞で過去/-ed 分詞を作るときに "-ed"/"d" を付けたときの発音方法とある意味で共通するところがあると思います。 |
| 不定代名詞について教えて下さい。
one, another, some, others, the otherなどの通常の使い分けについては分かった上での質問です。 次のような場合の②はどのように英訳したらよろしいでしょうか? 【部屋に10人の人がいます】 ①そのうち5人はアメリカ人です。 ②他の二人は日本人です。 ③残りはロシア人です。 ①は five of them are.... ③は the others are... で問題ないと思います。 で、②なのですが other two という言い方をしましたっけ。 それとも two others あるいは two of the othersなど?? ここでtwo of them と言ってしまうと、初めの5人のうちの 2人みたいに聞こえてしまうので other は絶対に必要だと 思うのですが、どの言い方が自然でしょうか。 よろしくお願いします。 |
| flu さん、
その場合は②では、残りの5人の内、不特定の2人を指すことになりますので、 Two others are ... と Two of the others are ... は可能と思います。 また、その場合は前後の文の関係で、 Two are ... でも十分に通じると思います。 定冠詞を付けないで "other two" のような使い方が一般的かどうかは疑問です。(特定の数に、例えば "the other two" などと定冠詞を付ける使い方は可能と思います。) それは、例えば、不特定の1人でしたら "another"、不特定の数人でしたら "some others" のように、"other" を前から数詞などで修飾することはできますが、不特定の数人を "other some" ということが一般的でないことと同様と思います。 ただ、そのような内容を文を分けて言うことは実際には、あまりないと思います。実際には、曖昧さを取り除きしかもより簡潔に、例えば、コロンを使いその内容を全て1文にして、 There are ten people in the room: five are Americans, two (are) Japanese, the rest (are) Russians. または、2文にする場合は、例えば: There are ten people in the room. Five of them are Americans, two (are) Japanese, the rest (are) Russians. などと、まとめるほうが一般的と思います。 |
| 英語では、We are approaching Kyoto. Kyoto is approaching.と、両方言うことができます。しかし、日本語では、「(私達は)京都に近づいている」は問題ないのに対し、「京都が近づいている」と言うと、何か不自然に感じます。どうして、英語と日本語で、このような違いが生じるのでしょうか? |
| 大輔さん、
動詞 "approach" を自動詞として、 > Kyoto is approaching. などの表現は文法的には可能であっても、英語でも日常的に使うことはないと思います。多分、文学的、修辞的な表現になると思います。 場所などを主語にして、"[場所など] is approaching." などの例文は、信頼できると思えるソースで捜しても、簡単に見つからないようでした。("approach" が他動詞として使われていて、都市などがある目標などに近づいている場合や、ある面などで他の都市に追いつこうとしているなどを表現する例文は、よく見つかるようです。) 例えば、"Google" の "Book Search" で捜すと、以下のように、"The top of the mountain is approaching." という例文は見つかりました: [1] I stepped into the line of the chair, as it scooped me up. I almost fell out of the chair. I'm holding on for dear life, "okay I can do this," as I start to get light headed. The lift gets higher and I start to get comfortable. Oh what a cool thing. I start to swing my legs and look like a pro. The top of the mountain is approaching. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "Big Skies & Cowpies - Building a Home and Family in Montana", by Pennie Wise, Published 2004, Dog Ear Publishing 上記の例では、段落の最後の文を "The top of the mountain is approaching." として、特別な効果を狙ったと考えるのが妥当と思えます。 そのため、"[場所など] is approaching." を英語では日常的な表現として、日本語と比較することが、どのような意味があるか疑問と思います。 また、日本語でも、例えば、「京都」を主語にして「京都はもうすぐだ。」などということができ、「私達」を主語にして「私達はもうすぐ京都だ。」などということもできます。 一方、例えば、日本語では、天候で「雨」を主語にして「雨が降っている。」などは日常的に自然な表現として使えますが、英語では、"rain" を主語にして "(the) rain is falling." は可能でも、あまり日常的には使わないと思え、多分特殊な状況や光景などを表現する、または特殊な視線などから表現する文学的、修辞的な言い回しになると思います。"It is raining." などが日常的によく使う表現と思います。 何れにしても、英語と日本語では異なる言語であるため、文法的にはどちらの言語でも可能であっても、1つの言語で自然で日常的な表現でも、他の言語では不自然か、あまり日常的な表現ではない (または、文学的、修辞的な表現となる) となることがあっても、不思議ではないと思います。 |
| 完了形と過去形の使い分けについて、質問させて下さい。
A『彼に会った時、私は既に結婚していた』の訳としては、 次のどれがふさわしいでしょうか? A①when I met him, I was already married. A②when I met him, I had already been married. (be marreidの過去完了・継続) A③when I met him, I had already got married. (get marriedを使って過去完了・完了) 私は①が自然だと思うのですが、じゃあ何故②や③がダメなのかと 訊かれたら迷ってしまいます。 alreadyに引き摺られて②や③を選ぶ人が多いのではないかと 思うのですが、私はこの文は過去のある時点における私の「状態」を 説明しているだけだと思うので、ただの過去形な気がします。 また、同じ事がもっと動作性の強い動詞でも言えるでしょうか。つまり、 B『私が着いた時、雨は既に降っていた』の訳としても B①When I arrived, it was already raining. B②When I arrived, it had already been raining. (rainだと過去完了の継続にはできないので過去完了進行形) B③When I arrived, it had already begun raining. (begin rainingに変えて過去完了・完了) の場合も①が自然だと言えますか? よろしくお願いします。 |
| flu さん、
> A『彼に会った時、私は既に結婚していた』の訳としては、 > 次のどれがふさわしいでしょうか? については、"be married" の単純過去形を用いた: > A①when I met him, I was already married. では、"married" が -ed 分詞でも、形容詞化されて状態を表す用法と考えられ、その時点では既に存在していて継続している状態 (be-動詞の単純過去形と共に用いられた副詞 "already" があるため) を表現していると、文脈上考えられると思います。そのため、そのような単純過去形での表現で十分で、自然と思います。 ただ、他動詞 "marry ..." (「...を結婚させる」などの意味) の受動態 "be married" は、「結婚する」などのいう意味で使われることもあり、意味上は瞬時動作 ("get married" と同じ意味と思えます) と見なすことができる場合もありえす。 "be married" の過去完了形を用いた: > A②when I met him, I had already been married. では、その時点での継続を表している場合と、その時点以前の経験などを表している (上述したように意味上は瞬時動作と見なすことができる) 場合が考えられると思います。そして、その文だけではどちらか不明と思います。 A② のように、動詞が状態などを表す場合に、過去のある時点での継続に過去完了形を用いるのは、その期間を表すのが一般的と思います。ある時点での継続でそれまでの期間を表す場合で、過去完了形を使っている例文を "Google" の "Book Search" で捜すと、例えば以下がありました: [1] When I was your age, I had already been married for eight years. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "On the Side of the Persecuted", by Elisabeth Kesten, Bernard Kesten, Published 2000, Xlibris Corporation また、ある時点以前の経験などを表す場合で、過去完了形を使っている例文を "Google" の "Book Search" で捜すと、例えば以下がありました: [2] When she turned twenty-one, she had already been married twice and said she could out-drink any man she knew. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "God Is Closer Than You Think", by John Ortberg, Published 2005, Zondervan "get married" の過去完了形を用いた: > A③when I met him, I had already got married. のような表現は、多分、特に書体では、あまり使われないと思います。そのように使われた場合は、上記の A② と似たように、その時点よりも前に起った出来事の結果 (結婚したということ) の継続を表している場合と、その時点以前の経験などを表している場合がありえると思います。 また、動詞 "marry" の過去完了形が使われることもありえます。そのような例文を "Google" の "Book Search" で捜すと、例えば以下がありました: [3] When I was born, she had already married Willis Brooks and had a family of her own. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "Our Common Herd", by Sue Sanders, Published 1980, Ayer Publishing > また、同じ事がもっと動作性の強い動詞でも言えるでしょうか。つまり、 > B『私が着いた時、雨は既に降っていた』の訳としても については、過去の瞬時動作である「私が着いた時」を単純過去形で、継続動作である「雨は既に降っていた」を過去進行形で表す表現: > B①When I arrived, it was already raining. が、一般的と思います。 過去完了進行形を用いた: > B②When I arrived, it had already been raining. については、A② の継続の場合と似たように考えることができると思います。すなわち、動詞が動作などを表す場合に、過去の継続に過去完了進行形を用いるのは、その期間を表すのが一般的と思います。 "begin" の過去完了形を用いた: > B③When I arrived, it had already begun raining. も可能と思います。 "start" の過去完了形を用いた例で、"when ..." が文末にくる例文が "Google" の "Book Search" で見つかりました: [4] It had already started raining when the bus finally arrived. - 出典は ("Google" の "Book Search" の結果) "The River of Rain: Or the Natural Man", by Michael A. Kleen, Published 2000, Xlibris Corporation |
| ありがとうございました。個々の説明、とてもよくわかりました。
実は②③の選択肢は私が自分で考えたもので、 今人に教えているので、生徒が書いてくるかもしれない 回答を挙げてみました。 できれば解答を示すだけでなく、生徒が別の解答を出してきた時になぜそうでない方がいいのか、をきちんと説明したいと思って悩んでいたのですが、 結局②③よりも①の方がいい理由を一言で言うとどうなるでしょうか? ②③では継続であることを示す期間の明示、 あるいは経験であることを示す「twice」などの明示、が ないことから一般的に不自然、というのがMKさんの解答 ということでよろしいでしょうか? ただ、原理的な説明を好む生徒なので、一緒に使われる副詞(句) からの判断ではなく、日本語の文に表されている時制そのものから 教えられないものかな、と思っているのですが…。 副詞(句)からの判断ですと、一般によく alreadyやjustと共に使われていれば完了時制の完了、 neverやtwiceとともに使われていれば経験、 for a monthなどとともに使われていれば継続、などという 教え方をしますが、もちろんそれだけでは判断できないわけで、 それこそまさに今回の例文でalreadyに引き摺られて 過去完了を選んでしまう原因にもなると思います。 alreadyやjustは必ずしも完了形とともにだけ用いられるわけではない ことを教えるのはもちろんですが。 これって確か時制ではなくアスペクト(相)の問題なんですよね? 日本語と英語ではそもそも体系が違うから、 副詞句や前後の文脈以外からの時制の厳密な判断は不可能、と 逆に割り切って教えてしまえばいいのでしょうか。 たびたびすみません。 |
| flu さん、
質問 [4613] での A② と A③ が好ましくない理由は、そのように過去完了形を使用すると、「彼に会った」ときよりも以前に、「既に結婚した」という事実 (すなわち、経験) を述べていますが、それが「彼に会った」ときまで継続していたか、既に終っていたかどうかは不明となるためと思います。(継続であることを明確にするためには、期間などを示す前置詞句などが必要になると思います。) また、同じ内容を述べる場合には、一般的に、できるだけ単純な時制が好まれる傾向があると思います。そのことからも、A① のほうが好まれると思います。 副詞 "already" については、「既に」などの意味で、be-動詞などでは、単純現在形で使用され、現在までに既に確立された状態など表すこともできます。過去のある時点については、be-動詞などでは、単純過去形で、その時点までに確立された状態など表すことになると思います。副詞 "already" は完了形でも単純形でも使用されることがあると理解してよいと思います。 今回の例の単純過去形と過去完了形の用法とは、あまり直接関係ないと思いますが、単純過去形と過去完了形の重要な相違点と思える例が、、"Cambridge Grammar of English", by Ronald Carter, Michael McCarthy, April 2006 (ISBN: 0-521-67439-5) という参考書の 356 に載っています: They all left the room when she recited her poem. (suggests they all left the moment she started reciting) They all left the room when she’d recited her poem. (suggests they left after she’d finished reciting) 上記の例では、誤解する可能性をなくすためには、過去完了形を使用する必要があるようなことが説明されています。 When he opened his desk, he discovered a dead bird. (stresses the immediate result, rather than ‘When he had opened his desk …’) When he’d opened his third present, he looked at the roller skates and smiled. (not such an immediate or direct relationship; the roller skates may not have been in the third present) 上記の例では、単純過去形が直接的な因果関係を示唆する例として挙げられていて、"when" で始る従属節に単純過去形を使用した場合は、それが主節の直接的な因果関係を強調し、一方、過去完了形を使用した場合は、そのような直接的な関係がなくなるようなことが説明されています。 何れにしても、時制/相については、各時制/相とも多くの用法があり、原理的な説明ができないこともあると思います。結局、どのような場合にどのような時制/相を使うのが一般的で、どのようなニュアンスがあるかについては、多くの例に触れることによって、馴れることが必要と思います。 |
| なるほど。
>A② と A③ が好ましくない理由は、そのように過去完了形を使用する >と、「彼に会った」ときよりも以前に、「既に結婚した」という事実 >(すなわち、経験) を述べていますが、それが「彼に会った」ときまで >継続していたか、既に終っていたかどうかは不明となるためと思います。 >(継続であることを明確にするためには、期間などを示す前置詞句など >が必要になると思います。) ②when I met him, I had already been married. を継続ととるためには副詞句が必要、 経験ととるならば「結婚歴があった」というような訳になり、 彼に会った時点での「私」の「結婚している」状態を表す文 ではなくなってしまう、ということですね。 むしろその時点では離婚していたかのように聞こえるでしょうか。 ありがとうございました! |
| ある高校2年生用の英語学力テストの「表現力」問題で、次の日本文中の文(1)を英語になおせ、という問題についてお尋ねいたします。
(1)先週図書館から借りた本を読んで驚いた。(2)ある貧しい国の子どもたちの写真が載っていた。(3)服はぼろぼろで裸足だったのだが、その表情は生き生きとしていた。(4)その笑顔があまりにもすてきなので、日本は豊かだけれど、僕たちは本当に幸せなのかなと思った。(5)最近、あんな輝くような笑顔を日本で見ていないような気がするのだ。 「解答解説」に挙げられている解答例は次の2つでした。 1.I was surprised when I read the book (which) I borrowed from the library last week. 2.The book (which) I borrowed from the library last week surprised me. (1) 私は、この2つの解答例がともにbookの冠詞がtheになっていることに違和感を覚えます。それは、bookにtheを冠することで(1)がこの一節の最初の文であるにもかかわらず、(図書館で借りた)本が読者にとって既知のものというニュアンスを生むことになるからではないかという気がします。 (2) 以下に、解答例をそれぞれ検討します。 ・もし「解答例1」のように一文で表すのであれば、次のようにbookの冠詞はむしろaにして、 I was surprised when I read a book I borrowed from the library last week. (「私訳1」とします。) とすべきではないでしょうか。 ・「解答例2」は、2つの文に分けて、 I borrowed a book from the library last week, and the book(またはit) surprised me. (「私訳2」とします。) としたくなります。 上の(1)及び(2)の「私訳1」「私訳2」に関してコメントをいただけませんでしょうか? 《P.S.》 出典は「進研模試 2007年度 高2学力テスト 総合学力テスト・7月 英語」の大問7 Bです。出された問題は正確には、上の日本文の文(1)、文(4)を英語になおせ、というものでした。 |
| Shin さん、
その解答例: > 1.I was surprised when I read the book (which) I borrowed from the library last week. については、発言者と聞き手 (/読み手) との間に特別な背景情報などの共有がある場合は、"the book (which) ..." となることはありえると思います。例えば、聞き手は、発言者が毎週1冊の本を図書館から借りるという習慣などがあることを知っている場合、あるいは図書館から借りてきた本は1冊で、それを聞き手は見ている/見たことなどによってその存在を知っている場合などは、そのように定冠詞 "the" をつけることは可能と思います。 上述のような特別な背景情報がない場合は、"a book (which) ..." のほうが自然と思います (借りた本が1冊だけの場合でも、上述のような特別な背景情報によって、聞き手が何らかの意味で特定化することができると考えられる場合以外では、不定冠詞を使うことは可能と思います)。 何れにしても、もし、上述のような特別な背景情報がない場合は、背景の説明として、図書館から本を借りという事実から話を展開するほうが自然と思います。 また、(1)の「先週図書館から借りた本を読んで驚いた。」の文を単独だけで日本語の意味をできるだけ忠実に英語にするのであれば、その回答例: > 2.The book (which) I borrowed from the library last week surprised me. では、本に驚いただけで、読んで驚いたかどうかは不明と思います。例えば、飛び出す絵本や、開くと音声が出る本など、その他本当に驚くような仕掛けがある本で驚いた場合なども考えられると思います。もし、その問題文の(1)から(5)までストーリがつながっていると考えると、2.の回答例では、聞き手が本を読んで驚いたというよりも、本の写真を見て驚いたと解釈される可能性のほうが大きいと思います。 |
| またまたわからないことが出てきてしまいました。
今回もよろしくお願いします。例文は以下です。 I wonder what the dotted line represents on the gragh. (このグラフの点線は何を表しているのかな?) 私が疑問に思うのは、過去分詞"dotted"の用法です。 "line"の説明をしていることは理解できるのですが、 具体的な使い方がわからなくなってしまいました。 今まではとりあえず過去分詞として調べて、 その意味を形容詞的用法として使っている、という解釈でいました。 最初に"dot"で調べてみました。 そして"dotted"で調べたところ、私が使っている辞書では そっくりそのままのつづりでで形容詞として独立して掲載されていました。 このケースでの"dotted"は過去分詞ではないのでしょうか??? 自分の中で過去分詞と形容詞がグチャグチャになってしまいまして…。 用法も含めて、Swan著のPractice English Usageにて調べたのですが、 これに関わる箇所を見つけることが出来ませんでした。 なんだか話が支離滅裂になってしまいましたが…、 全ての過去分詞の形容詞的用法として使うことが出来るのでしょうか? それから具体的な使い方を教えていただけませんか? |
| Hana Banana さん、
> I wonder what the dotted line represents on the gragh. > (このグラフの点線は何を表しているのかな?) > > 私が疑問に思うのは、過去分詞"dotted"の用法です。 > "line"の説明をしていることは理解できるのですが、 > 具体的な使い方がわからなくなってしまいました。 > 今まではとりあえず過去分詞として調べて、 > その意味を形容詞的用法として使っている、という解釈でいました。 > > 最初に"dot"で調べてみました。 > そして"dotted"で調べたところ、私が使っている辞書では > そっくりそのままのつづりでで形容詞として独立して掲載されていました。 > > このケースでの"dotted"は過去分詞ではないのでしょうか??? そのように名詞を前から修飾する "dotted" について、過去分詞の形容詞的用法と解釈するか、形容詞と解釈するかは、最終的には各自の考え方によると、私は思います。何れにしても、どちらで解釈しても文意は同じになるはずです。 動詞 "dot" は、"to dot a line" などのように、他動詞で、点で線などを描くという意味もあります。そのため、そのように描かれた線という意味で、"the dotted line" の "dotted" は動詞 "dot" の過去分詞で、名詞 "line" を修飾していると解釈することは可能と思います。 また、"dotted" は「点で描かれた」などの意味の形容詞と解釈することも可能と思います。その場合は、元々、他動詞 "dot" の過去分詞から派生した形容詞と考えることができると思います。 > 自分の中で過去分詞と形容詞がグチャグチャになってしまいまして…。 > 用法も含めて、Swan著のPractice English Usageにて調べたのですが、 > これに関わる箇所を見つけることが出来ませんでした。 過去分詞も含めて分詞が形容詞として使えることについては、"Practical English Usage", by Michael Swan, July 2005 (ISBN: 0-19-442098-1) の 410 に説明があります。 > なんだか話が支離滅裂になってしまいましたが…、 > 全ての過去分詞の形容詞的用法として使うことが出来るのでしょうか? > それから具体的な使い方を教えていただけませんか? 全ての過去分詞が形容詞として使うことができるかについては、疑問があると思います。まじめに考えると難しい問題になると思います。 抽象的な言い方になると思いますが、名詞を修飾する場合 (限定用法) に限って考えると、基本的には、過去分詞として名詞を修飾して、具体的な意味をなすかどうか、あるいは、習慣として名詞を修飾して特定な意味をなすかによって、形容詞として使われるかどうかになると考えられると思います。また、特定の過去分詞は特定の名詞を修飾して意味をなす場合もあると思います。 特に名詞を前から修飾する過去分詞については、A Comprehensive Grammar of the English Language" ("CGEL"), by Randolph Quirk, Sidney Greenbaum, Geoffrey Leech, Jan Svartvik, May 1985 (ISBN: 0-582-51734-6) という参考書の 17.100 と 17.101 に説明があります。それによりますと、能動的な意味を持つ過去分詞で、名詞を前から修飾できるものは、わずかな例外を除いてないとなっています。また、受動的な意味も持つ過去分詞で、名詞を前から修飾することを許容するような永久的な意味を持つと容易に認めることができる過去分詞も、わずかしかないというような説明もあります。 "CGEL" には、例えば、 * "the arrived immigrant" * "a sold car" * "a built house" などは許容できないと書かれています。ただ、過去分詞の前に修飾語が付くと名詞を前から修飾することができる例もあります。 "CGEL" には、例えば、能動的な意味を持つ例で、 "the newly-arrived immigrant" 受動的な意味を持つ例で、 "a recently sold car" "a well-built house" などが載っています。 |
| 質問に答えていただきありがとうございます。非常に参考になりました。
また疑問にさしかかったのですが、 (1)That was the most moving film I had ever seen. =I had never seen a ( ) moving film ( ) that. (2)This is the most impressive sight I have ever seen. =Never ( ) ( ) ( ) such an impressive sight ( ) ( ). の二つなんですが、 (1)はmost, like (2)はhave I seen, as this かなぁとは思うんですが、いかがでしょうか? 是非ともご意見お願いします! |
| さすらいさん、
(1)は、"a" の後に入れる語句となり、あれ ("that") が最も感動的な映画であったことを意味するためには、比較級での表現となり、"more" と "than" が入ると思います。 (2)は、さすらいさんの答えで良いと思います。(否定を表す "never" などが先頭にくると助動詞と主語が倒置しますので、そのような語順になるはずです。) |
| Be quiet, everyone.などの呼びかけのときは、every one と2語で表すことはできないのでしょうか? |